ベジタリアンの3種の神器

料理のベースになるのが味噌、しょうゆ、しお。

これにこだわっているので、やはり宅配便で値段は高くても美味しいものを求めて取り寄せている。

以前は味噌、しょうゆは少しでも安く、

塩にいたっては食塩とかあじ塩とか、まったく無神経に使用していたし、

私も、たかがそんなものと、無頓着であった。

 

ところが知れば知るほど、添加物や化学精製品の害が、

たかがという、味噌、しょうゆ、塩(毎日いただく食物の基礎食品)に含まれていることの危険を感じた。

 

きっかけは、娘のアトピーが幼児の頃から治らなかったこと。(今は見事に完治した)

しかしそれよりも天然の味噌、しょうゆ、塩がベースになると、

こんなに料理も美味しくなるのか?

この発見のほうが大きいのである。

 

あっ?すごい歌声!! IL DIVO(イルディーヴォ)

 

四人男性グループの歌を、テレビで初めて聞いたときの第一印象である。

イケメンのポペラ?《ポップスとオペラの造語》で、

カルロス(スペイン)、セバスチャン(フランス)、ウルス(スイス)、デイヴィッド(アメリカ)の男性グループが出てきた。

 

イギリスで2年前ヒットチャートに上り、いまや世界中に人気が出てきた。

ソロも魅力的だが、4人でハモったときのダイナミックな歌い上げは、

体中ぞくぞくしてきてしまう。

 

CD3種類を車内にセットし、車内は常にコンサート会場に早変わり。

スポーツと音楽大好き人間の私にとっては、

ビートルズ以来の感動的な出会いのグループといっても過言ではない。

またいくつになっても、体がゾクゾクするという感動できる、

そういう自分がまた好きである。

 

逆転の発想時計?

ずいぶん昔に、あるコレクションの店で、見つけ感動して購入したイタリア製の時計です。

丸い円盤部が電池で動くのです。

電池が切れる以外、故障したことがない優れものです。(シンプルなつくり)

この時計のおかげで『逆転の発想』というヒントでいい気付きをもらったことが何度かあります。

 

何か壁にぶつかったときは、まったく逆転の発想をしてみると、

意外と良い突破口が見つかるものです。

逆転の発想は頭を柔らかくしないとなかなかできませんが、

今もジーッとこの逆転の発想時計を見ながらブログを書いています。

 

写仏の楽しみはストレス解消!?

 

ご縁あって、昔から興味があった写仏の作品展に時々出品させてもらっています。

この写真がその一部で普賢菩薩と、大日如来です。

この写仏が面白いのは、皆さん同じ原画(仏画)の上に薄紙をのせて、

筆でなぞるだけですが、違う仏画のように皆違った表情になるのです。

 

背筋を伸ばし、腹式呼吸で息を整え、筆は自然体で軽く持ち、

ニコッと笑顔で、これが私の心がける姿勢です。

 

全体の輪郭から始め、下台や道具、飾りの順で描き、

体の手足、頭、まゆ、鼻、口、そして最後に深呼吸して目を入れて完成。

この目を入れるときが一番緊張もし、楽しみな時です。

 

上手い下手はなく、自分だけの仏画が完成できます、ストレス解消にはもってこいです。

 

中村久子の世界 パート�L

 

写真は40代の頃で、奥歯に編み棒をしっかり噛み、編み物をされているのと、

得意な人形作りで、ヘレンケラーさんが来日されたとき贈られた自作の人形です。

娘、富子さんも母、久子さんからは厳しい愛情でしつけられたとのことです。

そして一番教えられたことは次のことだったそうです。

 

『人間。ないないではなく、あるあると切り替えていくと、心が豊かになっていくよ!

私には両手両足がないのではなく、両手のひじもあり、両手のひざもある。

目も見え、耳も聞こえ、口も開ける…。』

 

心洗われ、勇気の出る富子さんの実録話でした。

 

 

中村久子の世界 パート�K

 

写真は両手がなくとも、努力の結果、ご自分で包丁の柄を挟み料理し、

包帯に箸をさし挟んで食事されているところです。

3、4才の頃に両手両足を手術の結果なくされ、

昭和43年に72歳で亡くなられるまで、いろいろな宗教家が訪ねてこられたそうです。

しかし娘・富子さんには、毅然たる態度でこう言っておられたそうです。

 

『本物の神・仏はすがるものではない!

本物の神・仏は何が大切か?

どう生きていくかを教えてくださる。

そしてどんな苦難のときも、周りで黙ってみていてくださる。

これが本当の神・仏である。』

 

辛いとき苦しいときはいつも

『きっと神さま・仏さまが、後ろで見ていてくださる』

と信じて、人の100倍の時間を掛けてでもコツコツ努力されたそうです。

 

 

中村久子の世界 パート�J

 

このたびご縁があって、岐阜県高山出身の両手両足がない中村久子さんの世界を、

実の娘 富子さんからお聞きすることができました。

明治・大正・昭和を生き抜いてこられ、多くの方に感動を与えられた

中村久子さんの世界は知識では知っていたものの、

娘さんからのお話には実感があります。

自身のご努力で両手がないのに何でも挑戦されたそうです。

写真は40代の頃、口に筆をくわえて書かれた作品です。

両手が満足にある私など何でもできるはず、と勇気をいただきました。

 

そして娘の富子さんがお母さんの久子さんから友達のことでいいアドバイスをいただいたそうです。

 

 

『親友は要らないよ!頼ったり頼られすぎるから。

いい友達がたくさんあるといいよ。

いい友達とは、ひらめき(気付き)を与えてくれる友達だよ。』

 

何気ない一輪の挿し花!

弊社の片隅には、以前旅で見つけた

布掛け軸風の一輪挿しが飾ってあります。

ほっと一息、店内を見渡すとき、ひっそりと片隅に静かに、

しかし生き生きと主張していることに気付きます。

ある方の詩で好きな一節があります。

そこに いるか とも

言われない

空気のように なりたい

人にはそれぞれの生き方があり、それぞれでOK!

自分の生き方を改めて見つめました。

書から学び(間)を学ぶ?

先日、友人の奥さんが出品されたということで、日本でも有名な書の作品展に招待されました。

まずは作品展に招待され、一品ずつの迫力にも見せられました。

草書などは何が書かれてあるのか良く分かりませんが、見ているうちに、

何か作者の気持ちが伝わってくるようで、不思議でした。

振り返る中で一番感動したのが、この写真作品です。

 

右上の空間と左下の空間に絶妙な意味があるようです。

書は文字の大小のバランスも見せるが、余白の部分も見せるものということが分かりました。

一事が万事、車のハンドルも余裕の遊びがないと危険。

人間にも遊び(間)とのバランスが大事、

その意味では仕事の合い「間」!

 

時間を作って、一流の文化の香りに触れることができたのは幸せです。

 

入り口のくまちゃん銅像が送迎!

弊社の入り口には、本場高岡で作ってもらったオリジナルの

くまちゃん銅像が皆様を送迎している。

そして銅像の前には小さな箱に交通遺児基金として、たまると寄贈している。

近くを通る小さいお子さんも、頭をなでて手を合わせていく。

またお客様が店を出られるとき、おつりの小銭を投入してくまちゃんの頭を

なでていかれる方も目にする。

日常の中で、小さな親切、小さな感謝を大切にしたいと思ったのが、

くまちゃん銅像のきっかけである。

「当たり前のもったいなさを知れ!」

とは両手両足のない中村久子さんの言葉である。

感謝!!