時間の約束を守る?

長男にとっていつかやってくる問題、嫁と姑。

小生は長男という自覚を結婚前から十分に持っており、この嫁姑問題も結婚してから常に長男としての自覚の元に意識しておりました。

後半同居することにしたのも理想どおり、しかしどんな理想の中にも問題は生じるものです。

妻からある日「お母さんの部屋は陰気くさいので入りたくないし、年老いたお母さんが部屋にいるだけで心の負担になる。」

とはっきりいわれたとき、私は瞬時に妻の気持ちは無視、長男として将来父母を絶対面倒見るという強い意識があるばかりに、
長男の嫁として何を言うか、とばかりに火に油を注ぐような言動を妻に浴びせていたことを反省しています。

あるとき自分が妻の立場になって考えてみたら、妻の言うことも無理ないなあと思えました。

「本当に母の部屋は陰気くさいし、最近ぼけてきたのか俺にもくどく言うようになったし俺も逃げ出したくなるときあるよ!」

と妻に同調するようになりました。

すると妻がいとおしく思え本当に母のことをよく見てくれているなあと感謝いっぱいになってきました。

それから妻がとても姑を優しくしてくれるように思えてなりません。

そんな母もちょうど一年前88歳で一瞬のうちに他界しました。

 

 

人は鏡?

以前よく人に言っていたものです。

「自分のことは誰よりも自分が一番知っていますから…。」

そう言っていた自分が恥ずかしくてたまりません。

最近はこのように「自分のことを一番知らないのが自分だということがよくわかりました。」

一番知っているのが妻であり、社員です。

ですから、自分の事をほんとに知ろうと思ったら、自分の鏡である、妻や社員を見た方が早いのかもしれません。

ところが現実はつい逆のことをしているようで、妻を変えようとしたり、社員を変えようとしてみたり…。

いくら私の鏡である妻や社員を変えようとするより、私が変わったら一番早いものを。

 

父への思い!

尊敬していた父が亡くなって早13年。

一人でコツコツ仏具の職人を続ける後姿に引かれ、大学中退して父のあとを継ぐ決心をしました。

いつも父を越えようと、また超えたつもりになった時もありましたが、振り返ってみると、
父の石橋をたたいてでも歩くコツコツしてきた功績は、亡くなった今でも超えることはできません。

しかし父の苦手な部分、営業や人を増やして社員教育し、社会貢献していく部分では、
小生の特徴をほんの少し出せているのかもしれません。

しかしそれもこれも父の後姿から知った商売の基本姿勢がベースになっています。

そんな父と長く一緒に(父の最期まで)いられたことに感謝です。

13年前の10月6日深夜、あれっという間に旅立って行ったのでした。(職人らしく無言で…)

 

 

はがきの読みやすい書き方?

表の宛名欄の一番大事なことは、相手様の名前を一番先に(正確に)中心に書き込みます。

そして後は住所など開いている部分にバランスよく書くのみ。

裏の方は、端の1cmの周りに空白を作ること。

そして下手でも良いから相手様が読みやすい字を書くこと。

文が多くなっていったら、小さな字でたくさん詰めずにNo2としてもう一枚のはがきに書くこと。

そしてよほど形式的な文面以外は、拝啓とか前略までも省いて、一番伝えたいことを、そのまま書くこと。

私が今まで頂いて一番うれしかった、短い文面のはがきです。

「今富士山頂に来ています。ここから暑い名古屋へ冷風を送ります。フッー!」

はがきを毎日娘さんに出し続けている友人から?

小生が息子に3年間毎日はがきを出したよ。という話から友人が気付かれたそうです。

東京の大学へ行った大切な娘さんに思い切ってやってみようと。

それ以来1年半毎日娘さんにはがきを出しているそうです。

その娘さんから電話があり、

「お父さんの誕生日にお母さんと一緒に渋谷の駅前による8時に来て欲しい!」

との事。

約束どおり夫婦で行くと娘さんが

お父さんあと向かいのビルの回転電光掲示板を指差しました。

それには

「お父さん誕生日、おめでとう。そして毎日はがきをありがとう!」

夜空にくっきり浮かんでいたそうです。

そして恥ずかしながら夫婦で手を取り合って泣いてしまったそうです。

たった一枚のはがきですが毎日出し続けると…。

はがきを毎日大切な人に書くと?

思いもかけない体験をします。

私は長男が東京へ修行中3年間、1,092通のハガキを毎日出し続けました。

内容はほとんど自分のことばかりです。

しかしそのおかげで表書きを筆で書いてたので、今は左手にハガキを持ち、
右手の筆ですらすらと宙に浮かした状態で書けるようになったのです。

また、毎日大切な長男に書き続けようと決めたら、

「やればできる」という自信がつき、その後無理のない形で毎日やってみたら、何か面白いことになるかも?

と今では短歌を毎日一首作って(詠んで)います。

一日おきとかでは駄目で、何でもいいから毎日やることの面白さ、これは体験した人しか分からないのでは?

短歌を楽しく作れる会

百人一首にあるように、短歌は文語調の言葉を使い、五七五七七も並べるので難しいものと、最初のイメージはありました。

しかし、しきなみ短歌会に入って、次の先生の言葉で、自分でもやれるかも?

やってみようと思ったのです。

「短歌を作る(詠む)事は、自分の命を輝かすことです。

命を輝かすのに、上手も下手もありません。

あるがままを、五七五七七のリズムで詠めばいい。

口語調(日常会話)でもいい、下手でいい、作る(詠む)事が大事なのです!」

それから私は一日一首を。

一人ではめげることがあるので仲間を作ろう、毎週一回土曜の午後、「短歌を楽しく作れる会」を近くの喫茶店で、1年半以上も継続しています。

先日の半断食セミナーの山歩きの際作りました。

「山歩き半断食でふらふらに藤棚の下うっとり寝そべる」

 

ハガキは刺身と同じ新鮮が良い?

今回1週間ご一緒させていただいた半断食セミナーでの方々、26名に2日間で書き終え投函しました。

はがきは不思議です。

こうして1~2日で相手の方を思い浮かべて書く時は、下書きなどせず、スラスラと印象、
ワンポイントメッセージなどなど伝えたいことが出てきます。

ところが3~4日たつと新鮮な思いが出てこず、ましてや5日~6日後になって書こうとすると、まあいいか?

で、結局書けず。

相手方から来てあわてて返事を書く始末。

また、今日ある会で30名の方と名刺交換しました。

さて、この名刺交換(一瞬のやり取り)後のハガキ下記が面白い。

ほんのわずか名刺から相手方の印象を思い起こし、スラスラとワンポイントメッセージが出てくるか?

これも刺身と同じ、鮮度の良いうちに…挑戦!

捨てる大切さ

半断食一週間の目的は、小飲小食運動で、体の中の陽の毒素を体外へ出す。

つまり排毒作業、夏の体の大掃除にある。

思い起こせば、これまでもかと本能のままに美食、グルメといわれるものをおなかいっぱい。

胃袋にとっては個々はゴミ袋ではないよ!と文句を言われるくらい、とりあえずのど越しのよさで詰め込むことをしていました。

おかげで、体には臓器をはじめ、血管や細胞の中までその老廃物が付着していったのです。

それをとにかく、体外へ捨てる作業がこの一週間の半断食でした。

着々と排毒の効果が現れて、うれしくなってきました。

 

陰陽の食養世界

陽性は力強く引き締める力を持ち、陰性は緩やかに放散する性質がある。

陽とか陰は食物にも人にもある。

広島の山中に来て24名の仲間と受講するうちに、自身の体調がうそのように回復してきたが、1日に数回まだ咳き込むことがある。

特に1日1食(このセミナー中は親指大の玄米ご飯を一口200回噛み、唾液で飲み込んで)のどに入った時、咳き込むようである。

これを先生に伝えると、のどが急に陽性の毒で縮んでいるので、番茶に生姜(陽性の緩める力)を少し擂って飲んでみてください、と処方された。

するとどうでしょう。

暖かい生姜の液がのどを緩めるのが分かり、それ以来咳がピタッと止まりました。

まさに陽で縮んでいる時には緩める陰を。

身で体感しました。